佐賀県唐津市鏡にある神社。『源氏物語』作中では「松浦(まつら)なる鏡の神」「松浦の宮」とも呼ばれています。一の宮は南向き、二の宮は東向きに建てられています。
■ご祭神
・一の宮 息長足姫命<神功皇后>
・二の宮 大宰少弐藤原広嗣朝臣
※詳しくは、webサイト『花橘亭~源氏物語を楽しむ~』内、「源氏物語ゆかりの地をめぐる 松浦なる鏡の神 鏡神社」もどうぞ。
鏡神社
幸せを願い、玉鬘が参拝
鏡神社
住所 | 佐賀県唐津市鏡1827 |
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交通アクセス | JR筑肥線「虹ノ松原」駅下車 徒歩20分 | 昭和バス「鏡山下」下車 徒歩15分 |
公式サイト | http://kagami.or.jp/ |
「源氏物語」<玉鬘>より
玉鬘と玉鬘の乳母たちが肥前国に滞在していた頃、鏡神社を信仰していました。
「源氏物語」<玉鬘>にて、大夫監が玉鬘への求愛の歌を詠み、乳母が返歌をする場面があります。
大夫監が詠んだ歌
”君にもし心たがはば松浦なる 鏡の神をかけて誓はむ“
乳母が詠んだ歌
”年を経て祈る心のたがひなば 鏡の神をつらしとや見む“
ここで「(松浦なる)鏡の神」と呼ばれているのが、鏡神社のことです。
「源氏物語」<玉鬘>より
大夫監からの求婚から逃れるために、玉鬘と乳母たちは筑紫を脱出することを決意。
「源氏物語」<玉鬘>にて船出する際、
“ただ、松浦の宮の前の渚と、かの姉おもとの別るるをなむ、顧みせられて、悲しかりける。”
とあります。
「松浦の宮の前の渚」とは鏡神社の前に広がっていた美しい海辺の景色のこと。
玉鬘一行は、唐津湾から船出したものの、乳母の娘である“おもと”は肥前での家族が多くなっているため肥前に残りました。
そのため、鏡神社の前に広がる美しい海辺の景色と“おもと”との別れを悲しむのでした。
(この写真のみ唐津湾の浜辺で撮影しました。)
「源氏物語」<玉鬘>より
筑紫から帰京した玉鬘たちは、京都府八幡市にある石清水八幡宮への参拝を決意。
「源氏物語」<玉鬘>に
“近きほどに、八幡の宮と申すは、かしこにても参り祈り申したまひし松浦、筥崎、同じ社なり。”
とあります。
平安京の近くにある石清水八幡宮は、筑紫滞在中に都に帰れるよう信仰していた鏡神社(佐賀県唐津市)・筥崎宮(福岡市東区)と同じ神を祀る神社であるから、と参拝をすすめられるのでした。
『紫式部集』より
『源氏物語』の作者である紫式部はなぜ、平安京から遠く離れた肥前国の鏡神社のことを知っていたのでしょう?
紫式部は、平安京から筑紫の肥前国へ下った女友達と文通していたからなのでした。それらの歌は紫式部の歌集『紫式部集』に収められています。
紫式部が詠んだ歌
“あひ見むと思ふ心は松浦なる 鏡の神や空に見るらむ”
紫式部の女友達が詠んだ歌
“行きめぐり逢ふを松浦の鏡には 誰をかけつつ祈るとか知る”
紫式部文学碑
「源氏物語」<玉鬘>で大夫監(たいふのげん)が玉鬘へ詠んだ和歌の碑が「紫式部文学碑」として鏡神社境内に建立されています。
「源氏物語」ゆかりの絵馬
「源氏物語」の舞台である鏡神社ならではの祈願絵馬です。(2014年2月)
「源氏物語」ゆかりの御守り
「源氏物語」の舞台である鏡神社ならではのお守り『玉鬘縁守り』です。
流浪の姫君である玉鬘をイメージされたのでしょうか、赤い鼻緒がついた黄色の下駄の形をしたお守りです。(2014年2月)
ご朱印
鏡神社でいただいたご朱印です。