大阪市住吉区住吉にある神社。筒男三神は住吉の神と呼ばれ、海の守護神(航海安全の神)・農耕の神・和歌の神として信仰されています。「住吉」は歌枕で「松」の名所でもありました。かつては、大阪湾に面していましたが現在では海岸線は遠くなっています。
■御祭神
・第一本宮:底筒男命 (そこつつのおのみこと)
・第二本宮:中筒男命 (なかつつのおのみこと)
・第三本宮:表筒男命 (うはつつのおのみこと)
・第四本宮:神功皇后 (じんぐうこうごう)
住吉大社
光源氏と明石一族の繁栄を支える
住吉大社
住所 | 大阪市住吉区住吉2丁目9-89 |
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交通アクセス | 南海鉄道「住吉大社」駅下車 徒歩5分 | 阪堺電気軌道「住吉公園」駅下車 徒歩2分 |
公式サイト | http://www.sumiyoshitaisha.net/ |
「源氏物語」<須磨><明石>より
明石の入道が熱心に信仰し、明石の君もまた住吉大社を参詣していました。
「源氏物語」<須磨>に
”年に二度住吉に詣でさせけり“
とあり、
「源氏物語」<明石>に
”年ごとの春秋ごとに、必ずかの御社に参ることなむはべる。“
とあります。
このことから、明石の君は年に二度、春秋に住吉大社を参詣していたことがわかります。
「源氏物語」<明石>より
京から須磨へ退居した光源氏。須磨で暴風雨に遭い、住吉の神に大願を立てます。
「源氏物語」<明石>に
“「住吉の神、近き堺を鎮め護りたまふ。まことに迹を垂れたまふ神ならば助けたまへ」”
とあり、光源氏と供人も神仏に祈っています。
また、故・桐壺院が光源氏の夢枕に立ち、次のように言います。
「源氏物語」<明石>より
“「住吉の神の導きたまふままに、はや、舟出してこの浦を去りね」“
やがて、光源氏を迎える明石の入道の舟が訪れ、光源氏は須磨から明石へ移るのでした。そして、光源氏は明石の君と出会い、ふたりの間に明石の姫君が誕生します。
「源氏物語」<澪標>より
明石から帰京した光源氏が願果たしのために住吉大社を参詣します。
「源氏物語」<澪標>に
“その秋、住吉に詣でたまふ。願ども果たしたまふべければ、いかめしき御歩きにて、世の中ゆすりて、上達部、殿上人、我も我もと仕うまつりたまふ”
とあります。
内大臣となった光源氏の盛大で威厳ある行列の様子がうかがえます。偶然、明石の君も舟で参詣に訪れていました。しかし、光源氏一行の華やかさに圧倒された明石の君は自身の「身の程」を情けなく思い、その場を立ち去ってしまいます。
「源氏物語」<藤裏葉>より
成長した明石の姫君が東宮に入内し、明石の君は娘である明石の姫君とようやく再会を果たすことができました。
「源氏物語」<藤裏葉>に
“晴々しきにつけて、まことに住吉の神もおろかならず、思ひ知らる。”
とあります。
明石の君は、明石の姫君の東宮入内や明石の姫君との再会は、住吉の神の加護のおかげだと実感するのでした。
「源氏物語」<若菜上>より
東宮に入内した明石の女御は第一皇子を出産します。俗世を捨て入山を決意した明石の入道による手紙が明石の君のもとへ送られます。
「源氏物語」<若菜上>に
”若君(明石の女御)、国の母となりたまひて、願ひ満ちたまはむ世び、住吉の御社をはじめ、果たし申したまへ“
とあります。
明石の女御がいずれ国母(帝の母)となり、明石の入道の願いが叶うことは疑いようがありません。願いが叶った時には、住吉の御社をはじめとして願果たしをして欲しいと明石の入道は明石の君に伝えました。
「源氏物語」<若菜下>より
明石の女御が産んだ第一皇子が東宮となり、光源氏たちは願ほどきのために住吉大社を参詣します。紫の上、明石の女御・明石の君・明石の尼君を伴い、前例のないほどに趣向を凝らした華麗なものでした。
住吉大社の社頭では、選りすぐりの楽人たちと舞人たちによる神楽と東遊などの舞楽が一晩中奉納されました。
「源氏物語」<若菜下>にて紫の上は以下のような和歌を詠んでいます。
”住の江の松に夜ぶかく置く霜は 神のかけたる木綿鬘かも“
和歌や本文中の描写によって、住吉が松の名所であったことがうかがえます。
住吉大社 「源氏物語」ゆかりの御守り
「源氏物語」の舞台である住吉大社ならではのお守り「侍者守(おもとまもり)」です。
住吉大社の末社:侍者社(おもとしゃ)は、縁結び・夫婦円満の神として信仰されています。
「侍者守(おもとまもり)」の背景に描かれている絵は、光源氏と明石の君でしょうか。恋愛成就のご利益があるのだそうです。(2014年9月)
住吉大社 ご朱印
住吉大社 写真ギャラリー
周辺の見どころ「源氏物語の碑」
南海電車「住吉大社」駅の西側に『源氏物語の碑』があります。「源氏物語」<澪標>での光源氏による住吉大社参詣の様子が華やかにレリーフに描かれています。
レリーフの右上には、海上に一艘の舟が描かれており、明石の君が乗船しているであろうことが予想されます。
<解説>
”「真住吉(ますみよし)住吉(すみのえ)の国」は万葉の昔から数多くの和歌や文学作品にその名をとどめている 源氏物語澪標に描かれた明石上の悲しい恋もこの地が舞台である
船で訪れた明石上はなつかしい光源氏の華やかな住吉詣に出合ったが再会することなくそのまま帰る 中世の住吉は王朝貴族の住吉詣が多く平安のみやびにつつまれていた
この碑はかかる王朝をしのび歴史を振り返り郷土を愛するためのよすがである “